宗教法人 栃社山 浄土院

宗教法人 栃社山 浄土院 【久米郡】

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岡山県久米郡 法然上人のご両親のお寺 浄土院(じょうどいん) お気軽にお立ち寄りください。

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浄土宗コラム

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2022/09/27

浄土院副住職信宏和尚の法話 「備えておくことの大切さ」

  先日、台風14号が岡山県付近を通過していきました。強烈な風が吹き荒れ、多くの枝を落としていきました。枝だけならまだ良い方で、風で倒された稲を見ると、辛い気持ちになりました。台風の発生は、実際に到達する三日前くらいに天気予報で分かります。その時に注意喚起がなされます。「風で飛ばされそうな物を庭に置いておかないように」、「あらかじめ溝や雨どいの掃除をしておくように」などです。「備えあれば患いなし」という言葉があります。「暴風雨の中では買い物に行けなくなるかもしれないから、安全なうちに食料など備蓄しておくこと」、「避難場所への行き方を決めておくこと」、「土砂崩れから命を守るため、家の中で安全な場所はどこか知っておくこと」これらを定期的に思い出しておかないと忘れてしまいます。定期的に備えておくことの大切さがわかります。
備えておくことの大切さについて法然上人は次のように仰せです。「速やかに出要(しゅつよう)を求めて、虚(むな)しく三途に還ることなかれ」。「速やかに輪廻を脱する大切な道を求めなさい。虚(むな)しく三途(地獄道・餓鬼道・畜生道)に戻ってはなりません」という意味です。法然上人がそのように仰せになるのには、「人の命は儚(はかな)い朝露のようですよ」と、命は儚いものだととらえているからです。「それ朝(あした)に開くる栄華は夕べの風に散りやすく、夕べに結ぶ命露(めいろ)は朝(あした)の日に消え易し」。そもそも朝に咲く繁栄の花は夕方の風に散りやすく、夕方に結ぶ生命の露は翌朝の陽に消えやすい。花は風に散らされ、露は陽で蒸発する。花や露のように儚い命だからこそ六道(苦しみの世界)の輪廻を脱する大切な道、つまり阿弥陀如来様のお誓いの行であるお念仏を申すことを法然上人はおすすめしてくださっています。お念仏を申し、阿弥陀如来様との御縁を結ぶことが儚い命を護り、輝かせる備えとして大切であります。
自然災害に触れるたび、自分の無力さを思い知らされますが、命の一大事の備え、お念仏をこれからも大切に申し読けて頂きたいと願っております。
今朝もまた 箒(ほうき)とる手の うれしさよ
はかなくなりし 人にくらべて
合掌

2022/09/03

浄土院副住職信宏和尚の法話[極楽からの眼差し」

 私は時々、脳のトレーニングをしています。方法は一昨日の 夕食を思い出すだけです。これがなかなか難しく、一品も思い出せないことがよくあります。人の記憶は曖昧だなと痛感する瞬間です。
阿弥陀如来様は、私たちを救済するために四十八の誓願をたててくださっています。第5番目の願に「宿命智通願(しゅくみょうちつうがん)」というお誓いがあります。極楽浄土に往生した人が、自分自身の過去世(前世)、過去世での出来事を知ることが出来るという内容のお誓いです。つまり、極楽浄土へ先立たれた人が、こちらの世界での自身のことや、自身をとりまく出来事をすべて記憶されている、忘れていることがあっても極楽浄土で思い出すことが出来ることです。この第5番目のお誓いがあるからこそ極楽へ往かれた人が、自分の子孫や身内、親しい間柄にあった方々のことを見護ることが出来るのであります。
「先に生まれて後を導かん、引摂縁(いんじょうえん)はこれ浄土の楽しみなり」と法然上人は仰せです。
「先立つ者が遺(のこ)された者を導きましょう。縁ある人を迎えとることは浄土の楽しみです」という意味です。
御遺族としては寂しい気持ちがありますが、先立たれた方は、ずっとこちらを覚えていてくださり、優しく見護る菩薩様となられています。先立たれた方のお導きを受け、お念仏を申し、秋のお彼岸をお迎えいたしましょう。合掌

2022/05/25

浄土院副住職信宏和尚の法話 「他者の命を尊重」

 ニュースでウクライナの戦死者、日本の有名人の訃報に接するたび 、命の大切さを考えることが増えています。
お釈迦様は、人間を含め、生き物の命を大切にするように説かれています。「生きとし生ける者は幸せを求めている。もし暴力によって生き物を害しないならば、その人は自分の幸せを求めているが、死後には幸せが得られる(意訳)」お互いの命を尊重し合うことを説き明かされています。
僧侶の大切な道具の中に錫杖(しゃくじょう)という杖があります。錫杖の上方、先端には金属の輪がついており、突いたり振ったりすると音が鳴ります。生き物の命を殺めないようにという戒めを守るため、蛇や害虫を追い払うために杖を突きながら音を鳴らして歩みます。音を聞いた足元の生き物は、踏まれないように逃げていきます。日常生活の中で生き物の命を尊重するように心がけることが出来る杖です。それほどに殺生を戒めるのには、私たちには我欲我執があるためです。自らの欲や執着のことです。自分の幸せを手に入れたいあまり、道義に反した行いをしてしまうことがある私たちです。本来、自分の幸せのために道を踏み外してはいけません。自分の幸せだけでなく、他者の幸せも願うべきです。法然上人も「かまえて善人にして、しかも念佛を修すべし。これを真実に仏教に随(したが)う者というなり。」と仰せです。「ぜひとも善人となるように心がけてお念仏をとなえなさい。こうした人を『真に仏教に随う者』というのです。」という意味です。他者の命を大切にするなどのお釈迦様の御教えを心がけたうえでお念仏を申していきたいものです。
今、田舎では田畑周りの草刈りシーズンです。毎年痛感しますが、草はすぐ生え、伸びていきます。草を刈っていると刈払機の音を聞いてか、小さなカエルが跳ねながら逃げます。私はそれを見ると思わず手が止まります。カエルが逃げるまで待って作業を再開すると、また同じカエルと出会い、手が止まります。カエルも刈り終わった方へ逃げればいいのに、これから刈る方にばかり逃げます。極力逃がしてあげたいのですが、作業が進まないので、お念仏を申しながら作業を続けます。もしも刃が生き物に当たってしまった時のため、せめて「お念仏と御縁のあった命」となるように、お念仏申しながらの刈払いです。「もしマムシをみつけたら、そのばでしとめるように。」とよく地元の方々から聞きますが、その場面が来た時は、私最大の試練(葛藤)の時となるでしょう。お念仏申しつつ、他者の命を尊重し、怪我に気を付けて励んでいきます。合掌

2022/03/17

浄土院副住職信宏和尚の法話 「怨(うら)むことなく」

  長期化しているコロナウイルスとの戦いは、ワクチン3回目の時期になり、引き続き我慢を強いられることも多く大変です。一方で、コロナウイルスは世界共通の悩みであり、世界の国々が情報交換し、力を合わせる一体感があったように思います。しかし、人と人とが傷つけ合う戦争はコロナウイルスとは比較にならないほど心が痛みます。
今の世相に伝えたいお釈迦様のお言葉があります。「さあ、私達は真に幸せに生きていこう。怨(うら)みを抱く人々の中でも怨むことなく、怨みある人々の中で暮らしていこう。怨むことなく。」(意訳)お釈迦様の教えでは、怨みが生じる原因は大きく分けて五つあります。「殺生」、生き物の命を奪うこと。「不与取」、他者の物や時間を盗み取ること。「欲邪行」、欲望に支配された行動をとること。「妄言」、根拠のない話、偽りの話をすること。「飲酒」、お酒を飲むこと(飲みすぎは特に悪い)、これらをきっかけににして怨みを抱き、怨みのままに行動すると自分も相手も傷つきます。なぜなら、怨みが更なる怨みを引き起こし、争いにつながり、怨みの連鎖が私たちを不幸にするからです。
法然上人は九歳の時、夜襲で目の前で父を亡くしました。父時国公の「敵人を恨むことなかれ。」の御遺言を耳底にとどめ、計り知れない葛藤をしながら僧侶となり仏道を歩まれました。怨みがはびこる世の中に於いてどう生きていくかの答えがお釈迦様のお言葉や法然上人の生き方にあります。怨むことなく。難しいことですが、怨み心に負けず、「南無阿弥陀佛」とお念仏申して阿弥陀如来様に寄り添われながら生きていくこと。それが、お釈迦様や法然上人の御教えです。
四月七日は法然上人のお誕生日、四月八日はお釈迦様の誕生日です。地元では四月と言えばお会式。法然上人御両親様の追恩法要です。今年は父時国公の輪番の年にあたります。怨むことなく、世界の人々が真に幸せに生きていけますように願いつつ、お念仏申していきましょう。  合掌

2022/02/16

浄土院副住職信宏和尚の法話「時々刻々に向き合う」

  2月中旬、私は夜中に高熱が出ました。朝型に熱は引きましたがコロナ禍の今、体調が心配になり凝ろなの検査のため通院することにしました。私の通院の手順を紹介いたします。インターネット検索で岡山県ホームページからその日に実施している発熱外来のある病院と連絡先を知り、通院の電話予約をしました。
今からすぐに診てもらえるとのこと。自家用車で出発。病院の駐車場に到着し、指示通りに病院に電話で到着を知らせ、車内に待機します。すると病院内から二人の女性看護師さんが駐車場に検査道具セットを運び、私の車の横まで来てくださいました。看護師さんは頭から手足までビニールの防護服をまとい、目にはゴーグルをつけコロナ予防の姿をされていました。原則として私は車から出られず、運転席側の窓を挟んでの検査となりました。
検査方法は先ず細長い綿棒を鼻の穴の奥深くに差し込んで粘膜を採取します。痛みと不快感で涙が出ます。左右の鼻の穴に合わせて2本分でした。記入した問診票や保険証などナイロン袋の中へ回収されて、そのまま車内で約30分待機、病院から携帯電話に車から出て病院玄関から診察室に来るよう連絡があり、診察室で抗原検査陰性、翌日電話でPCR検査陰性と伝えられ、コロナウイルスに感染していないことがわかりました。
ニュースで見聞きした検査を自分の身で体験してみて医療従事者の皆さんに感謝と尊敬の思いが湧き起りました。看護師さんは寒い中、駐車場で検査をしてくださいました。鼻の穴に綿棒を入れられ痛がる私に「お上手お上手」と声をかけ、おだてて笑わせ痛みを和らげてくれました。医療従事者のチームワークで少しでも多くの患者を診るために効率よく電話を使い、駐車場でも検査をし、患者を安心させる、その手間を時々刻々毎日ずっと続けておられるのはすごいことです。私は1時間程度の拘束でしたが、医療従事者はずっと続けておられます。毎日続けて精進する姿勢はとても刺激になりました。
浄土宗の二祖聖光(しょうこう)上人のお言葉にあります
「無間修(むけんじゅ)とは隙(すきま)なく念仏を修するなり。また阿弥陀仏に於いて、隙(すきま)なくつかえたてまつるなり。」
訳しますと「無間修というお念仏を申す姿勢は、時間をあけずお念仏を申すことです。また阿弥陀如来様に対して時間を空けずお仕えすることです。」という意味です。医療従事者が日々真摯に患者に向き合ってくれていることに見習い、私たちも日々真摯に極楽浄土の阿弥陀如来様や先立たれた大切な方々に向き合ってお念仏申し続けましょう。
~手と足は 忙しけれど 南阿弥陀 口と心の ひまにまかせて~    合掌
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