2022/02/16
浄土院副住職信宏和尚の法話「時々刻々に向き合う」
2月中旬、私は夜中に高熱が出ました。朝型に熱は引きましたがコロナ禍の今、体調が心配になり凝ろなの検査のため通院することにしました。私の通院の手順を紹介いたします。インターネット検索で岡山県ホームページからその日に実施している発熱外来のある病院と連絡先を知り、通院の電話予約をしました。
今からすぐに診てもらえるとのこと。自家用車で出発。病院の駐車場に到着し、指示通りに病院に電話で到着を知らせ、車内に待機します。すると病院内から二人の女性看護師さんが駐車場に検査道具セットを運び、私の車の横まで来てくださいました。看護師さんは頭から手足までビニールの防護服をまとい、目にはゴーグルをつけコロナ予防の姿をされていました。原則として私は車から出られず、運転席側の窓を挟んでの検査となりました。
検査方法は先ず細長い綿棒を鼻の穴の奥深くに差し込んで粘膜を採取します。痛みと不快感で涙が出ます。左右の鼻の穴に合わせて2本分でした。記入した問診票や保険証などナイロン袋の中へ回収されて、そのまま車内で約30分待機、病院から携帯電話に車から出て病院玄関から診察室に来るよう連絡があり、診察室で抗原検査陰性、翌日電話でPCR検査陰性と伝えられ、コロナウイルスに感染していないことがわかりました。
ニュースで見聞きした検査を自分の身で体験してみて医療従事者の皆さんに感謝と尊敬の思いが湧き起りました。看護師さんは寒い中、駐車場で検査をしてくださいました。鼻の穴に綿棒を入れられ痛がる私に「お上手お上手」と声をかけ、おだてて笑わせ痛みを和らげてくれました。医療従事者のチームワークで少しでも多くの患者を診るために効率よく電話を使い、駐車場でも検査をし、患者を安心させる、その手間を時々刻々毎日ずっと続けておられるのはすごいことです。私は1時間程度の拘束でしたが、医療従事者はずっと続けておられます。毎日続けて精進する姿勢はとても刺激になりました。
浄土宗の二祖聖光(しょうこう)上人のお言葉にあります
「無間修(むけんじゅ)とは隙(すきま)なく念仏を修するなり。また阿弥陀仏に於いて、隙(すきま)なくつかえたてまつるなり。」
訳しますと「無間修というお念仏を申す姿勢は、時間をあけずお念仏を申すことです。また阿弥陀如来様に対して時間を空けずお仕えすることです。」という意味です。医療従事者が日々真摯に患者に向き合ってくれていることに見習い、私たちも日々真摯に極楽浄土の阿弥陀如来様や先立たれた大切な方々に向き合ってお念仏申し続けましょう。
~手と足は 忙しけれど 南阿弥陀 口と心の ひまにまかせて~ 合掌